古着

古着が好きだ。リサイクルショップや古着屋に行けば、宝探しのような感覚でひたすらに服を搔きわける。実家に帰省した際には、母と郊外のセカストを周遊するのが最近の流行りである。

古着が好きな最も根源的な理由は、私が三人兄弟の末っ子で、兄のおさがりばかりを着ていた/着せられていたからだろう。兄の着こなしを見ていたのでどうやって着ればサマになるかわかっていたし、大きいと思っていた兄の服を着ることは自分の成長が実感する瞬間でもあった。時たま買ってもらえるおニューの服は、パリッとした質感が消えて体に馴染むまでの期間が苦手だった。

 

ふと、小学生の時「おニューの儀式」というのがあったのを思い出した。おニューの儀式とは、新品の靴を踏みつけて汚れをつける儀式である。やんちゃな同級生によって執り行われるこの儀式は、ヒエラルキーを確認するためのものであると考えられている。ターゲットになったその場こそおどけて見せるのだが、悔しさを踏みしめて下校するのだった。

 

古着は好きだが、靴だけは中古で買ったことがない。中学生の頃、セカストで気に入ったものを見つける度に買おうとしたのだが、いつも母から「靴が汚い男はダメよ」と注意される諦めるのだった。(20年近く会っていない父は靴が汚かったのだろうか。)古着屋で履いてみたいと思う靴と出会うことが今でもあるのだが、「靴が汚い男はダメだよな」と棚に戻すのであった。もう一つ、母の教えがあって、「迷彩禁止」だった。(父は、うす汚れた靴と迷彩柄に身を包んでいたのだろうか。)

 

母から「靴が汚い男はダメよ」とたしなめられたのは、小学5年生の時が初めてだったと思う。母が仕事をやめたタイミングか何かで、息抜きに母と私二人で旅行に行くことになった。旅の道中で、悲惨な状態のスニーカーに気づいた。そのスニーカーは、サッカー部の練習で両側面に穴が空いていた。インサイドキック、アウトサイドキック。左右合わせて、四つの穴だった。私自身は、穴から見える白い靴下がなんだかおしゃれだなと思って穴を楽しんでいたのだが、母にはダメな男に見えたようだ。スポーツオーソリティーで新しいスニーカーを買ってもらった。旅行中に靴を買い換えて靴擦れすることも母は懸念したのだが、息子であれ、靴の汚い男と一緒に歩くことは彼女には許せなかったようである。

 

中学の頃のお気に入りは、横縞の入ったニットで兄からのおさがりだった。同じく横縞の入ったTシャツの上に着るのがお気に入りで、横縞×横縞という我ながら高度なコーディネートに取り組んでいた。あとは、名古屋で活躍するタレントの鉄平さんからイベントでもらったアディダスのスニーカー。鉄平さんが引っ越しするタイミングで私物の服をリスナーにプレゼントする「服撒き」というイベントだった。ヴェルサーチのニットもゲットしたがそれはいまだに手元にある。スニーカーは加水分解で捨てざるを得なかった。

 

高校生の頃のお気に入りは、ユニオンジャックが前面にでかでかとプリントされたナイキのナイロンジャケットである。5000円で名古屋/大須のコメ兵で買った。服好き友達には「大須で1000円で売ってそうじゃん」と言われ、「いや、大須で買ったけど、でもこれナイキだから!さりげないロゴ見て!5000円!」という鉄板ネタをひたすら繰り返していた。しばらく後に、この服好きの友達が星条旗カラーのコンバースを自慢してきて、「いや、お前こそ大須で1000円だろ。」と思ったのが、今思えば、おそらく90年代USA製のCONVERSE ALL STAR Hiだったのだろうと思う。(彼は、今でもイケている。)ナイキのユニオンジャックはいかにも高校生の好む派手さで、大学生になる頃には飽きてしまってメルカリで売ってしまった。4000円で売れた。

 

メルカリではもっぱら売るばかりで、古着を買ったことはない。気になる商品を検索しては、あまり気持ちが盛り上がらず買えずにいる。やはり、古着をおさがりの延長で着ている以上、着古した質感というのものが大事で、それはやはり実際に手に取ってみないとわからないのだ。そういえば、オンラインで服を購入する経験は、覚えている限り、ZOZOスーツで計測された白いTシャツでだけである。あのワクワクする購買体験は忘れがたいが、Tシャツはどこかに忘れてきてしまった。

 

大学生になってから、私の古着ライフに転換点が訪れた。N君との出会いだ。服好きのN君は少し厄介で、人の服装に口出しせずにはいられない。「それはダサい。」と斬りかかってくることもあれば、「めっちゃかっこいいやん。センスいい。」とべた褒めの時もある。ある時は、僕が着ていたオックスフォードシャツのブランドが気になったようで、わざわざ襟をひっくり返してタグを確認された。そして、「ブルックスブラザーズじゃん。」と教えてくれた。兄が元カノからプレゼントされたものをおさがりでもらったので、ブランドは気にしたことがなかった。(兄はその彼女と復縁し、兄にあげたはずのシャツを僕が着ているところを見られてしまい気まずかった。)N君は、「古着」とはなんたるかを僕に教えてくれた。服にも傑作がありコレクターがいること。表参道・原宿の古着屋の歴史、今月のGINZAはヴィンテージ特集だから立ち読みすると面白いとか。古着に対して、おさがりっぽくて好きという感覚しかなかった僕にとっては、新たな価値観の導入である。そして、「とりあえず、levi'sの501を買いなさい」というのが彼の指令であった。

 

その指令が降ったすぐ後に、京都に行く用事があった。たまたま、友達の友達が古着屋で働いていて、「levi'sの503だっけ?なんだっけ?それ欲しい。」と相談すると、「501ね!」と彼のお気に入りの古着屋ROGER'Sに連れて行ってくれた。そこで、試着すること数本、90年代USA製パッチなし・濃いめの青のlevi's501 W36 L33が気に入り3000円で購入した。友達の友達曰く、「最近、made in U.Sのlevi'sも入荷減ってきてるらしいからね〜。」とのことで、なんだかいい買い物をしたなという多幸感に浸った。翌週、早速大学に履いていくと、N君は「おっ、いい感じじゃん!」と褒めてくれ、ジーンズの裾の折り方5選をレクチャーしてくれた。この501は気に入っていて、最初の半年は週6で履いていたし、今でも週3で履いている。

 

古着の世界の入り口にたった今、インスタグラムでは古着屋ばかりフォローしているし、最近はもっぱらミリタリーについて調べるのに凝っている。もっとも、母の教えが効いていて購入には至っていない。スウェーデン軍のモーターサイクルジャケットが気になっていて、実物を見てみたい。あとはチェコ軍のニードルカモフラージュのジャケット。15,000円ほどで出品しているお店を見かけるが、海外のミリタリーショップだと2,000円ほどだったりして、服の世界はわからないなと思う。

 

古着は好きだが、新品の服ももちろん購入している。そして、この一年で一番高い買い物をしたのがIssey Miyake MenのDFC-Lというシャツである。45,000円前後だった。おそらく私がこれまでに買った服は高くても、10,000円程度だったと思う。おさがり精神ゆえに、服にお金を出すのは気が進まないのだ。急にデザイナーズブランドに手を出したくなったのは、彼女に振られた勢いだった。やけくそで持ち物をほとんどメルカリで処分していくらかまとまったお金ができたので、渋谷西武のイッセイミヤケに飛び込んだ。本当はDFC-Lシリーズのチャイナシャツが欲しかったのだが、装飾が凝りすぎていたのと70,000円近い値段に日和ってしまった。そして、45,000円が安く感じるのだから不思議だ。勢いで買ってしまったのは、ギラついた接客を前に断りづらかったのもあるが、シルエットの美しさ、風を受けた時のゆらめきに都会的な色気を感じた。501(ヴィンテージジーンズには手が出せず、90年代US製を買っては履きつぶしている。)との相性もよく、服一つでこんなに人は変わるのかと驚いた。クレジットカードの明細が届いてから若干後悔したものの、気に入りすぎて、週6で着ていた。おそらく、元は取った。というか気に入りすぎて、プライスレス、無料だ。

 

古着への興味から転じて、最近は古い食器を集めるのにもはまっている。特に社会主義時代の東欧の食器が好きで、その国の骨董屋や蚤の市を回ったりする。自分用以外にも可愛いものを見つけては持ち帰り、フリーマーケットで並べてバイヤー気分に浸ったりもする。もっとも、到底航空券など捻出できないのだが。

 

御多分に洩れず血は争えないもので、母もグラスを集めるのにはまっているようだ。特に手吹きグラスが好みで、キンブルに大量に並ぶグラスを前にして、「底にあとがあるでしょ。これは手吹きの痕なんだって。」と教えてくれた。10円や50円のタグがついたグラスの中から、こうした一品を見つけるのはさぞ楽しいと思う。

 

そんな母から、Yohji Yamamotoのパンツとコートを譲り受けた。体型が変わってしまってもう着られないが、若かりし頃に着ていたものらしい。ただやはり、この服はレディースなのもあり、着こなしが難しすぎた。メルカリで売って生活費にしようかとも思ったが、ストーリーがある服なので母に返すことにした。母も今まで売らなかったのは思い入れがあるのだと思う。「当時は、Yohji Yamamotoの風を切って歩く感じが都会的で好きだったんだよ。」と教えてくれた。おそらく母にとってのYohji Yamamotoは、僕にとってのIssey Miyakeなのかもしれない。風を切って歩くための都会的な服。仮に体型が変わって着られなくなったとしても、この1着はずっと手元に置いておくのだろう。そして、これからもそんな1着との出会いを目指して、服を探し続けると思う。